要石レポート
要石。
地震を鎮めるとされる霊石で、東方projectのキャラクター比那名居天子はこの石を操り、大地を抑えまた武器や盾、乗り物として利用しています。
天子ファンである私はこの石に興味を持って少し調べてみたところ、地元に近い鹿島神宮(茨城県鹿島市)と香取神宮(千葉県香取市)にこの石があることを知り、実家に帰省したついでに参拝してみることにしました。
以下、そのレポートです
先に言っておきますが、これらの神社は天子と直接関係は恐らくありません(つまり聖地(笑)ではないのですw)。 もし聖地として挙げるとすれば以下の3つの神社が考えられます。
比那神社(島根県出雲市)
・ 石が祀られている
・【比那】名居に共通
名居神社(三重県名張市)
・日本の神話の中に出てくる名居の神(地震の神様)が祀られている
(天子の一族の上官である名居氏と関係?)
・比那【名居】に共通
・名張市内に比奈知という地名がある
(【比那】名居と共通?)
大村神社(三重県伊賀市)
・要石がある
(ゲーム中のグラフィックにそっくり)
・日本の神話の中に出てくる大村の神が祀られている
(名居一族に幻想郷を託した天人の大村守と関係?)
上であげてわかるとおり要石は各地に存在するうえ、鹿島神宮と香取神宮自体は天子とあまり関係ないので、ムリにこれらを結びつける必然性はありませんwしかしそれでもあえてレポートにしたのは、要石がある神社の中で鹿島神宮と香取神宮が(恐らく)最も有名であり、その有名たる所以のエピソードが非常に興味深いものだったからです。 東方・天子ファンの方には少し物足りないかもしれませんが、どうかお付き合いをw
まずは鹿島神宮のほうから。

鹿島神宮は茨城県の南南東に位置する鹿島市にあります。
最寄の駅は鹿島神宮駅で、東京から高速バスやJR線、水戸からは鹿島臨海鉄道大洗鹿島線でアクセスすることができます。 サッカーの鹿島アントラーズのホームである茨城県立カシマサッカースタジアムもこの近くにあります。

鹿島神宮への道中は、途中途中に看板が多いので迷うことなく進むことが出来ました。駅では神宮までの地図も配布されています。ちなみに目的地までの時間は約10分ほど。


途中途中で見つけたオブジェ。
要石に関連付けているのでしょうか。



到着しました。
要石レポですけれど神社に関しても最低限説明はしていきたいと思います。
鹿島「神宮」というように神宮の名がついていますが、これは皇室や天皇の縁や規模の大きさが関係しているからではなく、江戸時代以前から神宮と呼ばれてきた3つの神社のうちのひとつだからだそうです。恐らくそれほど昔から、地震を鎮める神社として大事にされていたのでしょう。神宮の名称はは戦後以前は国家が管理しており、現在でも特別な由緒がない限り名乗ることは出来ません。鹿島神宮は全国に600を超える鹿島神社の総本社でもあります。 この鹿島神宮に祀られているのは武甕槌神(タケミカヅチノオオカミ)です。神話の中では、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の命令で大国主命(オオクニヌシ)と日本の国を一つにまとめるための話し合いをした神様とされます。
鹿島神宮の宝物庫には、『常陸国風土記』の中にもその記述がでてくる国宝、「黒漆平文大刀拵(クロウルシヒョウモンタチゴシラエ)」が納められています。270cmほどもある日本最古最大の直刀で、「布都御魂剣(フツノミタマノツルギ)」と別名があるように祭祀にも使われていたそうです。そのほか県重要文化財など多数ありますが、たぶん要石はそういう登録はなされていないようです。有名なんだからもう少しマシな扱いでもいいのに。
一番下の写真は拝殿で、その奥に本殿があります。反対側には宝物館があり、上記の国宝や重要文化財を見ることができます(入場料300円、9~16時まで)

まっすぐ奥参道を進みます。
左右の森は天然記念物でもある「鹿島神宮の森」。名前がまんますぐる…。
天気がいいので木漏れ日が気持ちよいです。

境内には日本鹿が飼われています。
天照大御神が武甕槌神に命令を伝えるための派遣した使者、天迦久神(アメノカグノカミ)は鹿の神霊という伝説があるからです。 近くの売店で餌が売っているので食べさせることもできます。 自分が見たときは、殆どの鹿はかたまってだるそうに日向ぼっこしていました。
鹿島アントラーズのマスコットが鹿なのもたぶんこれです。

奥へ進みます
本当は「あづまを桜碑」や「奥宮」などいろいろ説明したいものもあるのですが、あんまりここで説明が長くなるとメインの要石まで届かないので、申し訳ありませんが省きます。

さらに進みます。

ナマズとそれを剣で抑える神様のモニュメント。
(写真はコラですが実際ちゃんと剣を持っていますよ、念のため)
目的地まであとわずか。

そしてついに。

辿り着きました。ここが要石が安置されている場所です。
質素ですが囲いもしてあることですし、さぞや立派な石が・・・。

ありませんでした。
いや、あるんですけど、つまり。

この地中に埋まっている石こそが、かの有名な「要石」なのです。
知っている方は別に驚きもしないでしょうが、要石は埋まっているからこそ地震を鎮めるのであり、地上に出てしまっては意味がないのです。ですからほんとに頭がちょこっとでているだけなのです(多分直径20cm無い)。 しめ縄も巻かれておらず、特徴といえばその頭の中央がちょこっとへこんでいるくらい。 (よく見るとそこに賽銭が。石でさえ賽銭されるというのにどこぞの神社ときたら)
『天地開闢プレス』程でなくとも、せめてヘルメット大くらいの大きさの石があるのかとご期待していた方もいらっしゃったかもしれません。しかし実はこの要石、地中も含めるとどのくらいの大きさなのかわかっていないのです。(昔掘り返して大きさを確かめようとした一団がいたらしいのですが、原因不明の事故で中止を余儀なくされたとか。祟り?)
地震の原因と言い伝えられ、シンボルでもあるナマズ。要石は地中にいるとされたこのナマズを抑えてここ一帯の大地震を防いだと一般では言われています。しかし抑えている要石はこれひとつではなく、香取神宮にある「もうひとつ」の要石も同じナマズを抑えているという話があります。言い伝えによると鹿島神宮がナマズの頭を、香取神宮がしっぽをそれぞれ担当しているとか。
茨城県の鹿島神宮から千葉県の香取神神宮まで約20キロほどの距離があります。それほどの大ナマズを抑えるとするならば、一体要石はどれ程の大きさが必要なのでしょうか。
要石の用途には諸説があり、ナマズを押さえつけるだけでなく、貫き通し、あるいは殺しているとも言われています。転じて2つの神社を要石がつないでいるとも。
また、地中にいるのがナマズだという伝説は江戸時代の中期からであって、それ以前は「尻尾をくわえ込んだ蛇(ウロボロス)」や「龍」であるとも考えられていたそうです。これらの動物は地中のエネルギーをあらわし、日本だけでなく中国や古代ヨーロッパでも地霊として崇められていました。
伝説が本当ならば『天地開闢プレス』のそれとは比べ物にならないほどの大きさと力を持った石なのでしょう。 見た目はなんとも頼りない石ですが、伝説を聞いて改めて見てみると、なにやら不思議な力がありそうな。
もしかしたら、これしか見えてないからこそ、「地中はどのようになっているのだろう」と想像をかきたてた結果がこの伝説なのかもしれません。案外取り出してみるとボーリングの玉ぐらいだったりw。例えそうだとしても、何百年もの間人々に要石と崇めら様々な伝説を生み出してきたことを考えれば、事実はともかくなんともおもしろい石だと思いませんか?
さてそろそろ次の香取神宮に移りますが、その前に一つだけ立ち寄りたいところが。

要石とは反対方向に進むと、御手洗池という禊の場があります。この隣にある売店で大きなみたらしだんごが焼き立てで食べられます。値段は一串300円。他にも草もちの串もあります。

照葉樹林と透き通った泉に囲まれて食べるとよりいっそうおいしく感じます。
御手洗池の清水を使った?地酒とかも売っています。おみやげにどうぞ。
さて腹ごしらえもしたところで次は香取神宮に向かいました。

香取神宮に最寄の駅、香取駅は鹿島神宮駅から鹿島線に乗って20分ほどのところにあります。
関東とはいえここ一帯は電車も少なく、一時間に一本、へたすると二時間に一本しかないので、もし行かれるという方がいましたらご注意を。
駅も無人駅です。構内には神社への地図があります。
天気もよくのどかな風景を楽しみつつ神社へ。

神社へ・・・。

神社ヘ・・・・・・・・・着かない・・・。
案内板も特になく、地図とにらめっこしながらゆっくり歩いて30分ほど。
ようやく神社が見えてきました。
香取神宮です。
御祭神は経津主大神(フツヌシノオオカミ)。神宮と呼ばれているのは鹿島神宮と同じ理由です。
4世紀末、ヤマト朝廷による東国進出においてこの辺りはその拠点となっていました。香取神宮と鹿島神宮は物部氏と縁があり、蝦夷征伐の最善基地だったことがわかっています。香取は土地を支配する神様で、鹿島は蝦夷の神様を睨み鎮める境界の神様でした。
私は、鹿島神宮のものともつながりもある要石だから、きっと境内にあるに違いないとひたすら探していたのですがなかなか見つけることは出来ませんでした。ふと時間を確認するとあと10分で見つけないと次の電車が2時間後というナイスタイミング。あわてて走っているとそこには

諏訪神社。末社ですが。ケロケロ。
なんて余裕こいて写真を撮っていたらもうあと数分しか余裕が無く、あきらめて帰ろうと境内から出ると、そこには「要石→」と書かれた看板が!わかりにくいと文句をたれつつ全速力で要石の下へ。


これが香取神宮の要石です。へこんでいてほんの頭しか見せていなかった鹿島のものと比べるとずいぶん大きいですが、それでもやはり天子のイメージ的な要石とは違う感じがします。
この要石と周りの風景、とりみき著『石神伝説③』(1996、文藝春秋)で見られる謎の青年の力によって要石が抜き取られる一コマそっくりで少し感激しました。10年以上前から全然変わっていないんですね。残念ながら私の念力ではうんともすんともいかず。いや、いったら困るんですが。
とゆっくり考えているうちに時間が押していたので、帰り道はフルダッシュで駅へ。

グーグー。お疲れ様でした。
とりあえず今回はお目当ての2つの要石が見れて大満足でした。
事前調査もしていたので大きなサプライズはありませんでしたが、まさか神社でこんなに興奮してしまうとは、とそっちに驚いてしまいました。参拝したわけじゃないんですが、俗人な私でも楽しみ、郷土への理解も多少深められたわけですし、神社も悪くないですね。これからなにか機会があれば初詣以外にも是非参拝に訪れてみたいものです。 というか、上で挙げたほかの3つの神社はいずれいくでしょう、天子ファンとしてw
そのときはまたレポートにしますのでお楽しみに。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。
参拝日 2008年3月12日
作成日 2008年3月13日~19日
地震を鎮めるとされる霊石で、東方projectのキャラクター比那名居天子はこの石を操り、大地を抑えまた武器や盾、乗り物として利用しています。
天子ファンである私はこの石に興味を持って少し調べてみたところ、地元に近い鹿島神宮(茨城県鹿島市)と香取神宮(千葉県香取市)にこの石があることを知り、実家に帰省したついでに参拝してみることにしました。
以下、そのレポートです
先に言っておきますが、これらの神社は天子と直接関係は恐らくありません(つまり聖地(笑)ではないのですw)。 もし聖地として挙げるとすれば以下の3つの神社が考えられます。
比那神社(島根県出雲市)
・ 石が祀られている
・【比那】名居に共通
名居神社(三重県名張市)
・日本の神話の中に出てくる名居の神(地震の神様)が祀られている
(天子の一族の上官である名居氏と関係?)
・比那【名居】に共通
・名張市内に比奈知という地名がある
(【比那】名居と共通?)
大村神社(三重県伊賀市)
・要石がある
(ゲーム中のグラフィックにそっくり)
・日本の神話の中に出てくる大村の神が祀られている
(名居一族に幻想郷を託した天人の大村守と関係?)
上であげてわかるとおり要石は各地に存在するうえ、鹿島神宮と香取神宮自体は天子とあまり関係ないので、ムリにこれらを結びつける必然性はありませんwしかしそれでもあえてレポートにしたのは、要石がある神社の中で鹿島神宮と香取神宮が(恐らく)最も有名であり、その有名たる所以のエピソードが非常に興味深いものだったからです。 東方・天子ファンの方には少し物足りないかもしれませんが、どうかお付き合いをw
まずは鹿島神宮のほうから。

鹿島神宮は茨城県の南南東に位置する鹿島市にあります。
最寄の駅は鹿島神宮駅で、東京から高速バスやJR線、水戸からは鹿島臨海鉄道大洗鹿島線でアクセスすることができます。 サッカーの鹿島アントラーズのホームである茨城県立カシマサッカースタジアムもこの近くにあります。

鹿島神宮への道中は、途中途中に看板が多いので迷うことなく進むことが出来ました。駅では神宮までの地図も配布されています。ちなみに目的地までの時間は約10分ほど。


途中途中で見つけたオブジェ。
要石に関連付けているのでしょうか。



到着しました。
要石レポですけれど神社に関しても最低限説明はしていきたいと思います。
鹿島「神宮」というように神宮の名がついていますが、これは皇室や天皇の縁や規模の大きさが関係しているからではなく、江戸時代以前から神宮と呼ばれてきた3つの神社のうちのひとつだからだそうです。恐らくそれほど昔から、地震を鎮める神社として大事にされていたのでしょう。神宮の名称はは戦後以前は国家が管理しており、現在でも特別な由緒がない限り名乗ることは出来ません。鹿島神宮は全国に600を超える鹿島神社の総本社でもあります。 この鹿島神宮に祀られているのは武甕槌神(タケミカヅチノオオカミ)です。神話の中では、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の命令で大国主命(オオクニヌシ)と日本の国を一つにまとめるための話し合いをした神様とされます。
鹿島神宮の宝物庫には、『常陸国風土記』の中にもその記述がでてくる国宝、「黒漆平文大刀拵(クロウルシヒョウモンタチゴシラエ)」が納められています。270cmほどもある日本最古最大の直刀で、「布都御魂剣(フツノミタマノツルギ)」と別名があるように祭祀にも使われていたそうです。そのほか県重要文化財など多数ありますが、たぶん要石はそういう登録はなされていないようです。有名なんだからもう少しマシな扱いでもいいのに。
一番下の写真は拝殿で、その奥に本殿があります。反対側には宝物館があり、上記の国宝や重要文化財を見ることができます(入場料300円、9~16時まで)

まっすぐ奥参道を進みます。
左右の森は天然記念物でもある「鹿島神宮の森」。名前がまんますぐる…。
天気がいいので木漏れ日が気持ちよいです。

境内には日本鹿が飼われています。
天照大御神が武甕槌神に命令を伝えるための派遣した使者、天迦久神(アメノカグノカミ)は鹿の神霊という伝説があるからです。 近くの売店で餌が売っているので食べさせることもできます。 自分が見たときは、殆どの鹿はかたまってだるそうに日向ぼっこしていました。
鹿島アントラーズのマスコットが鹿なのもたぶんこれです。

奥へ進みます
本当は「あづまを桜碑」や「奥宮」などいろいろ説明したいものもあるのですが、あんまりここで説明が長くなるとメインの要石まで届かないので、申し訳ありませんが省きます。

さらに進みます。

ナマズとそれを剣で抑える神様のモニュメント。
(写真はコラですが実際ちゃんと剣を持っていますよ、念のため)
目的地まであとわずか。

そしてついに。

辿り着きました。ここが要石が安置されている場所です。
質素ですが囲いもしてあることですし、さぞや立派な石が・・・。

ありませんでした。
いや、あるんですけど、つまり。

この地中に埋まっている石こそが、かの有名な「要石」なのです。
知っている方は別に驚きもしないでしょうが、要石は埋まっているからこそ地震を鎮めるのであり、地上に出てしまっては意味がないのです。ですからほんとに頭がちょこっとでているだけなのです(多分直径20cm無い)。 しめ縄も巻かれておらず、特徴といえばその頭の中央がちょこっとへこんでいるくらい。 (よく見るとそこに賽銭が。石でさえ賽銭されるというのにどこぞの神社ときたら)
『天地開闢プレス』程でなくとも、せめてヘルメット大くらいの大きさの石があるのかとご期待していた方もいらっしゃったかもしれません。しかし実はこの要石、地中も含めるとどのくらいの大きさなのかわかっていないのです。(昔掘り返して大きさを確かめようとした一団がいたらしいのですが、原因不明の事故で中止を余儀なくされたとか。祟り?)
地震の原因と言い伝えられ、シンボルでもあるナマズ。要石は地中にいるとされたこのナマズを抑えてここ一帯の大地震を防いだと一般では言われています。しかし抑えている要石はこれひとつではなく、香取神宮にある「もうひとつ」の要石も同じナマズを抑えているという話があります。言い伝えによると鹿島神宮がナマズの頭を、香取神宮がしっぽをそれぞれ担当しているとか。
茨城県の鹿島神宮から千葉県の香取神神宮まで約20キロほどの距離があります。それほどの大ナマズを抑えるとするならば、一体要石はどれ程の大きさが必要なのでしょうか。
要石の用途には諸説があり、ナマズを押さえつけるだけでなく、貫き通し、あるいは殺しているとも言われています。転じて2つの神社を要石がつないでいるとも。
また、地中にいるのがナマズだという伝説は江戸時代の中期からであって、それ以前は「尻尾をくわえ込んだ蛇(ウロボロス)」や「龍」であるとも考えられていたそうです。これらの動物は地中のエネルギーをあらわし、日本だけでなく中国や古代ヨーロッパでも地霊として崇められていました。
伝説が本当ならば『天地開闢プレス』のそれとは比べ物にならないほどの大きさと力を持った石なのでしょう。 見た目はなんとも頼りない石ですが、伝説を聞いて改めて見てみると、なにやら不思議な力がありそうな。
もしかしたら、これしか見えてないからこそ、「地中はどのようになっているのだろう」と想像をかきたてた結果がこの伝説なのかもしれません。案外取り出してみるとボーリングの玉ぐらいだったりw。例えそうだとしても、何百年もの間人々に要石と崇めら様々な伝説を生み出してきたことを考えれば、事実はともかくなんともおもしろい石だと思いませんか?
さてそろそろ次の香取神宮に移りますが、その前に一つだけ立ち寄りたいところが。

要石とは反対方向に進むと、御手洗池という禊の場があります。この隣にある売店で大きなみたらしだんごが焼き立てで食べられます。値段は一串300円。他にも草もちの串もあります。

照葉樹林と透き通った泉に囲まれて食べるとよりいっそうおいしく感じます。
御手洗池の清水を使った?地酒とかも売っています。おみやげにどうぞ。
さて腹ごしらえもしたところで次は香取神宮に向かいました。

香取神宮に最寄の駅、香取駅は鹿島神宮駅から鹿島線に乗って20分ほどのところにあります。
関東とはいえここ一帯は電車も少なく、一時間に一本、へたすると二時間に一本しかないので、もし行かれるという方がいましたらご注意を。
駅も無人駅です。構内には神社への地図があります。

天気もよくのどかな風景を楽しみつつ神社へ。

神社へ・・・。

神社ヘ・・・・・・・・・着かない・・・。
案内板も特になく、地図とにらめっこしながらゆっくり歩いて30分ほど。
ようやく神社が見えてきました。

香取神宮です。
御祭神は経津主大神(フツヌシノオオカミ)。神宮と呼ばれているのは鹿島神宮と同じ理由です。
4世紀末、ヤマト朝廷による東国進出においてこの辺りはその拠点となっていました。香取神宮と鹿島神宮は物部氏と縁があり、蝦夷征伐の最善基地だったことがわかっています。香取は土地を支配する神様で、鹿島は蝦夷の神様を睨み鎮める境界の神様でした。
私は、鹿島神宮のものともつながりもある要石だから、きっと境内にあるに違いないとひたすら探していたのですがなかなか見つけることは出来ませんでした。ふと時間を確認するとあと10分で見つけないと次の電車が2時間後というナイスタイミング。あわてて走っているとそこには

諏訪神社。末社ですが。ケロケロ。
なんて余裕こいて写真を撮っていたらもうあと数分しか余裕が無く、あきらめて帰ろうと境内から出ると、そこには「要石→」と書かれた看板が!わかりにくいと文句をたれつつ全速力で要石の下へ。


これが香取神宮の要石です。へこんでいてほんの頭しか見せていなかった鹿島のものと比べるとずいぶん大きいですが、それでもやはり天子のイメージ的な要石とは違う感じがします。
この要石と周りの風景、とりみき著『石神伝説③』(1996、文藝春秋)で見られる謎の青年の力によって要石が抜き取られる一コマそっくりで少し感激しました。10年以上前から全然変わっていないんですね。残念ながら私の念力ではうんともすんともいかず。いや、いったら困るんですが。
とゆっくり考えているうちに時間が押していたので、帰り道はフルダッシュで駅へ。

グーグー。お疲れ様でした。
とりあえず今回はお目当ての2つの要石が見れて大満足でした。
事前調査もしていたので大きなサプライズはありませんでしたが、まさか神社でこんなに興奮してしまうとは、とそっちに驚いてしまいました。参拝したわけじゃないんですが、俗人な私でも楽しみ、郷土への理解も多少深められたわけですし、神社も悪くないですね。これからなにか機会があれば初詣以外にも是非参拝に訪れてみたいものです。 というか、上で挙げたほかの3つの神社はいずれいくでしょう、天子ファンとしてw
そのときはまたレポートにしますのでお楽しみに。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。
参拝日 2008年3月12日
作成日 2008年3月13日~19日
■コメント
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■Re: 要石レポート [基奈粉]
おらっしゃああああぶっとんできたじぇええ
いやレポおつかれさまっす
色々いけていいねぇwしかしタケミカヅチノミコトはいろんな所で祭られてんだなぁっておもった・・
確か地元の塩釜神社にもあったようななかったような・・
まぁ塩釜神社は元寺だからねぇ・・・
ところどころにでてくる天子がとてもいい感じにかわいいっす!
またきますね~w
いやレポおつかれさまっす
色々いけていいねぇwしかしタケミカヅチノミコトはいろんな所で祭られてんだなぁっておもった・・
確か地元の塩釜神社にもあったようななかったような・・
まぁ塩釜神社は元寺だからねぇ・・・
ところどころにでてくる天子がとてもいい感じにかわいいっす!
またきますね~w
■Re: Re: 要石レポート [ガルベロス]
ありがとうございます><
またレポートもやっていくんで今後もよろしくお願いします。
またレポートもやっていくんで今後もよろしくお願いします。
■Re: 要石レポート [名無しさん]
レポ乙です
自分も半年前に鹿島香取に行ったので、思い出しながら楽しく拝見させていただきました
ところで鹿島神宮の要石のナマズを押さえているって記述のところに誤字がありますよ
自分も半年前に鹿島香取に行ったので、思い出しながら楽しく拝見させていただきました
ところで鹿島神宮の要石のナマズを押さえているって記述のところに誤字がありますよ
■Re: 要石レポート [ガルベロス]
返信遅くなってごめんなさい!!
うわーほんと誤字だらけで申し訳ないです、ご指摘どうもです!!
うわーほんと誤字だらけで申し訳ないです、ご指摘どうもです!!
■承認待ちコメント []
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