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■2008年12月

コミケ75

 今年もあと少し、そしてコミケ開始まであとさらに少し。コミケを知ってからというものの、年末のワクワク感が増してきたのはよいことです。毎日のようにネガティブなニュースが流れ未来に希望を持てないこんな世の中でも、楽しいと思えるイベントがあるだけで生きていけるというものです。
 私は今実家に帰省しているのですが、2日目のコミケに参加したあと一度下宿に帰って最後のバイトに参戦し、また実家に帰るというメンドウなスケジュールでして、最後また下宿に帰ることを考慮すると、鈍行電車に計24時間乗ることに。電車は酔うので苦手ですが、それでも「コミケのためなら!」と我慢できるもの。

 うーん、なんだか同人イベント・活動でなんでも解決できそうw自分の単純さが憎いw

 思えば同人誌やコミケという概念を理解したのが2年前、実際にコミケを体験したのがちょうど去年の冬コミ、そして今年の夏に自分も同人活動を始めるに至りました。ここまで来てしまったのだなぁと感慨深いですが、まだ「サークル参加をする」という(恐らく)最後の目標もしっかりと果たしたいと思います。できればそれで終わらず活動がずっと楽しみたいところです。

 来年もこのブログでそんな活動・報告ができますように。これからもよろしくお願いします。

Are you here now?

 先日友人とクリパ(という名の鍋会)をやった際、お互いDVDを持ち寄っていろいろ見たのですが、自分が持ち込んだ中で結局見ることになったのはBeatlesの『Yellow Submarine』。空気を読まない自分の愚かさに戦慄するも、友人は「なかなかよかった」とのことで少し安心(他のDVDが『リトルトーキョー殺人課』だったので選択の余地無しといえば無しw)。その感想は、DVDを徹夜でぶっつづけに見続けて疲れていたところだったからなのか、眠そうな友人のヨコで必死に解説しまくる自分にへのせめてもの気遣いでもあったのかもしれませんがwあんなにヨコでベラベラしゃべったら面白いものも面白くなくなるわけで、なんとも申し訳ない。でもやっぱり知ってほしいものは言いたくなってしまうんですよ。まさにオタクっぽい行動ですが、オタクなのでなんら問題なし!



・・・



 とうわけで2度目になりますがこの映画の中に出てくる曲「Nowhere Man」をご紹介。

The Beatles - Nowhere Man

映画では、ビートルズ一行がペパーランドに向かう途中にであった不思議な人物、ジェレミーへの歌ということになっていますが、この曲はもともとは映画の挿入歌ではなく、6枚目のオリジナルアルバム「Rubber Soul」に収録されていたものです。

 多重録音を駆使したコーラスでなかなかユニークな曲ですが、歌詞もなかなか興味深いです。このアルバムを前後するあたりから、ビートルズは単なる「アイドルバンド」から脱却し、歌詞もラブソングから一転、哲学的なものやひねりのきいたものも増えてきます。

 冒頭の歌詞を直訳すると「どこにもいないあいつが、だれのためでもない、どこにもないプランを、どこでもない場所に座って考えている」で、「孤立したあいつがひとり空想している」と意訳できます。そんなさびしいあいつに「周りをもっとよくみてみろ、世界は意のままなんだ」と呼びかける一方で、「あいつは俺達とにてやいないか?」とも歌っています。
 この歌詞でおもしろい解釈だと思ったのは、【Nowhere Man ⇒ Now here man】という文字の分解です。Nowhere Manは架空の存在ではなく、現在の身近なところにいて、つまりは自分なのでは?という考え、なかなかステキだとは思いませんか?作曲者のジョンがそれを意識していたのかは知ることはできませんが、少なくともそれを考えさせられるくらい興味深い歌詞であることは間違いないでしょう。

ネーム

 第6回博麗神社例大祭向けのネームがやっとこさ終わりました。見直したらセリフのグダグダ感やコマの単調さに呆然。また何度か見直すハメに。同人でも他の方々のレベルの高さを実感しました・・・。みんなすごいなぁ。

 自分の原稿は12Pくらいなんで、普通ならこれから下書き⇒本描き⇒印刷所に余裕で間に合うはずなのですが、なんせまだぜんぜん絵の練習ができていない始末・・・。天子メインのはずがなぜか他のキャラもどんどん絡んできて、しかも描いたことすらないキャラまで。多分締め切りは2月後半ぐらいまでありますが、果たしてどうなることやら・・・。最初だからといって手は抜きたくないのですが納得のいく作品ができるかどうか果たして。

 こんな記事書いている暇があったら練習すればいいだけの話ですよね、はい><

ストレンジ・ブルー

 早起きしようと夜1時に寝たら、起きたのが12時というなんともいえない脱力感。大学生だからこそ許される愚行ですが、社会にでたらどうなってしまうのやら・・・。反省しつつもこんな寝起きでは何もやる気がでないので一日グータラ過ごしてしまい、嫌悪感スパイラル。うう・・・。

 そんなけだるい日には激しいロックなんぞ聞いていられなかったので、なにを聞こうかCDをあさっていたところ、たまたまDr. Strangely Strangeが目に入ったので、今日は一日これを聴いていました。

dr.strangely strange - sign on my mind

 ひじょーにゆるいフォークです。歌も楽器もうまくはない、というよりはヘタに分類されるバンドでしょう。しかしこのヘタ具合が曲とマッチして、なんともいえない独特の浮遊感が。笛のピーヒョロ感が黄昏を思い浮かばせます。
 この曲、後半のほうにエレキギターのソロが入ってくるのですが、けっこうがんばって弾いているのになぜかどこか別の場所から聞こえてくるような妙な音作りがなされています。まじめにがんばる事が、どこか他人事であるかのような感覚。こういうヘンテコリンな感じはそうそう他で聴けるものではないです。

 ちなみにこの曲が収録されているの2ndアルバムで、1stアルバムのほうはアコースティク中心で、さらに哀愁漂わせるつくりとなっております。Youtubeで探してみたら結構最近っぽい映像もあったんですが今でも活躍しているんですかね?

Dr. Strangely Strange - Strangely Strange but Oddly Normal

バンド名もそうですけど曲名もすごいですねw「奇妙に奇妙で、しかし奇妙なことに普通だ」って一体どんな状態なんでしょうねwもっともヘンテコリンなバンドと曲にはぴったりの名前でしょう。
 マイナーで手に入れづらい(オリジナルはまた高いらしい)ですが、もし気に入ったら洋楽中古CD屋などで探してみてください。

人間らしいコンピュータと人間らしくない人間

 昨日の記事で、「WALL・Eのエンディングテーマについては自分が語るから内容は誰か頼む」とテキトウなことをぬかしていたら、YO氏こすも氏がちゃんと記事を書いていたようです、エライッ!(別に自分が頼んだからではないですよね、スイマセンw)
 とまぁ人様の感想を読んでいたら自分もちゃんと書きたくなったので書いてしまおうという訳です。といっても、自分は紹介するのがヘタクソなので、単に自分の考えたことぐらいしか書けないんですけどね。

以下ネタバレ注意


 この映画で一番印象に残っているのは、地球が浄化されるまで宇宙で暮らそうとしていた人間たちの、快適な生活に順応し退化した姿でした。今予告編を見直してみたところ、一応人間が出てくるシーンが少しだけあるのですが、宇宙船内を遠くから見下ろすシーンであって姿がしっかりと見えるというわけではなく、人が出てくるのは予想できていてもまさかこんな姿になっているとは!と多くの人は衝撃を受けたのではないでしょうか。一応デフォルメされているのでデザイン自体は可愛らしいのですが、その可愛さがかえって不気味にも思えました。

 映画『MATRIX』では、人間は一見通常の世界に生きているように見えて、実はコンピュータに支配されているという世界でした。対して『WALL・E』の世界は、人間は(一応)快適な生活を送り、それを支援・管理しているのはコンピュータという世界です。
 この2つ世界の違いは、人間がコンピュータの存在を知っているか知らないかということだけではなく、人間が人間足りうる「意思」を持っているかどうか、ということもいえるのではないでしょうか。
 『MATRIX』では、コンピュータの支配に気づき、それから脱却しようとする人間の存在がいます。しかし『WALL・E』では、自分達の退化の原因であるコンピュータの存在を認知しているにも関わらず、快適で恒常的な日常を営めていることにすっかり満足してしまいコンピュータへの依存から抜け出さずにいるのです。

 もちろん『WALL・E』のコンピュータは悪い意思をもっているというわけではなく、人間のために働いていることは『MATRIX』と違います。また、たとえコンピュータから脱却せず地球に帰れなくても、彼らの生命が保障されるならば依存から脱却する必要は無いという見方もあるかもしれません。

 しかし、人間が退化し、コンピュータの過剰な管理に置かれていることは現実として問題視すべきことです。しかも生活が保障されているといっても、本当にそれが未来永劫のものかといえばそうではありません。映画の途中で、ウォーリーとイヴが宇宙外にゴミと一緒に廃棄されそうになるシーンがあります。人間は地球を汚しきったにも関わらず、結局船内でも不必要になったゴミは外へ廃棄しているように悪い精神は治っていないようですが、多少の廃棄物や汚染は循環・浄化機能がある地球と違って宇宙船内は有限の資源しかないはずです。人間の快適な日常はそのときは恒常的であったとしても、それが永遠に続くわけにはいきません。いつかはエネルギーや資源が枯渇してしまうでしょう。また、コンピュータが常に人間の味方であるという保障もありません。映画の中でも、古い人間の命令に従って現在の人間の命令を無視するというコンピュータの姿が描かれています。また、よくある「コンピュータが意思を持って人間に反乱を起こす」という可能性も否定できません(ここまで発達したコンピュータ達なら十分想定できます、というよりウォーリーやイヴ、その他たくさんのコンピュータはあの人間以上に人間らしいものばかりでしたねw)。そして、そもそも人間達が宇宙にいるのは、「地球が浄化されるまでの一時的な避難」であったのに、その「意思」を忘れてしまい宇宙での生活を続けることは本末転倒だということです。身体だけでなく、精神も同時に人間として「退化」してしまった結果なのでしょうか。
 それでも、はじめはコンピュータに依存してばかりで本という存在さえ知らなかった艦長が、植物を目にしたことをきっかけに様々な知識を吸収してしだいに地球への興味を持ち出し、地球への帰還を止めさせようとするコンピュータに反発する「意思」を形成するに至ります。やはり人間はこうあるべきですよね。快適で恒常的な生活が人間にとってすべてでは無いのは皆さんもご理解いただけるかと思います。



 で、あえてこの映画を無理やり現代に結びつけてみましょう(娯楽映画ですからこのように結び付けようとすることは邪道なのは百も承知ですw)。
 現在コンピュータはあらゆるところに存在し、それによってわれわれ人間が恩威を受けています。技術の発展により、まさかこんなところにもコンピュータが!という例もありますが、大半のコンピュータは人間がそれを認知できるものです。つまり『WALL・E』の世界とはなんら変わりないということです。というより『WALL・E』は現代の世界の未来の姿のひとつなのでしょう。
 しかし、ならコンピュータから脱却すればいいじゃないかと簡単に解決することでもありません。現代ですら人間のコンピュータへの依存はかなりのもので、コンピュータ無しに現状の生活を維持することはできないでしょうし、コンピュータを否定することは人間の技術、文化活動の否定でもあります。エンドロールで、地球を再開発しようとする人間達をコンピュータが手伝う姿が見られます。一度コンピュータを開発してしまった人間が、それを無くすとこは不可能なのです。
 問題なのは、コンピュータに依存してしまうことではなく、依存への疑問視を忘れてしまうことなのです。
 具体的な例を挙げるとすれと、Suicaやクレジットカードに代表されるICカードの問題です。スキミングといって正規の利用以外でカードの情報を盗み出し悪利用する犯罪があります。もちろんICカードは便利なのですが、その便利さがかえって不利益な結果をもたらすことになるのです。コンピュータによってもたらされているものが「便利さ」だけだという思考停止になってしまうことが危険であり、便利さとその危険性両方を理解し解決しようとしたうえで、はじめてコンピュータの「正しい依存」となり、人間が人間であることが保たれるのです。

 コレクションを楽しんだり、孤独を悲しんだり、誰かと手をつなぎたいと願ったウォーリー。探索船からおり(一時的に)自由になったことを喜んだり、ウォーリーとのふれ合いに心動かされたり、ウォーリーや植物を守るために必死になったイヴ。彼らはどうしてこれほどコンピュータとは思えないくらい人間的であるのに対して、本物の人間が人間らしくなくなってしまったのだろうか。もちろん娯楽映画としても大変満足できるものでしたが、こんな疑問をわかせてくれた映画でもありました。" target="_blank">昨日の記事で、「WALL・Eのエンディングテーマについては自分が語るから内容は誰か頼む」とテキトウなことをぬかしていたら、YO氏こすも氏がちゃんと記事を書いていたようです、エライッ!(別に自分が頼んだからではないですよね、スイマセンw)
 とまぁ人様の感想を読んでいたら自分もちゃんと書きたくなったので書いてしまおうという訳です。といっても、自分は紹介するのがヘタクソなので、単に自分の考えたことぐらいしか書けないんですけどね。

以下ネタバレ注意


 この映画で一番印象に残っているのは、地球が浄化されるまで宇宙で暮らそうとしていた人間たちの、快適な生活に順応し退化した姿でした。今予告編を見直してみたところ、一応人間が出てくるシーンが少しだけあるのですが、宇宙船内を遠くから見下ろすシーンであって姿がしっかりと見えるというわけではなく、人が出てくるのは予想できていてもまさかこんな姿になっているとは!と多くの人は衝撃を受けたのではないでしょうか。一応デフォルメされているのでデザイン自体は可愛らしいのですが、その可愛さがかえって不気味にも思えました。

 映画『MATRIX』では、人間は一見通常の世界に生きているように見えて、実はコンピュータに支配されているという世界でした。対して『WALL・E』の世界は、人間は(一応)快適な生活を送り、それを支援・管理しているのはコンピュータという世界です。
 この2つ世界の違いは、人間がコンピュータの存在を知っているか知らないかということだけではなく、人間が人間足りうる「意思」を持っているかどうか、ということもいえるのではないでしょうか。
 『MATRIX』では、コンピュータの支配に気づき、それから脱却しようとする人間の存在がいます。しかし『WALL・E』では、自分達の退化の原因であるコンピュータの存在を認知しているにも関わらず、快適で恒常的な日常を営めていることにすっかり満足してしまいコンピュータへの依存から抜け出さずにいるのです。

 もちろん『WALL・E』のコンピュータは悪い意思をもっているというわけではなく、人間のために働いていることは『MATRIX』と違います。また、たとえコンピュータから脱却せず地球に帰れなくても、彼らの生命が保障されるならば依存から脱却する必要は無いという見方もあるかもしれません。

 しかし、人間が退化し、コンピュータの過剰な管理に置かれていることは現実として問題視すべきことです。しかも生活が保障されているといっても、本当にそれが未来永劫のものかといえばそうではありません。映画の途中で、ウォーリーとイヴが宇宙外にゴミと一緒に廃棄されそうになるシーンがあります。人間は地球を汚しきったにも関わらず、結局船内でも不必要になったゴミは外へ廃棄しているように悪い精神は治っていないようですが、多少の廃棄物や汚染は循環・浄化機能がある地球と違って宇宙船内は有限の資源しかないはずです。人間の快適な日常はそのときは恒常的であったとしても、それが永遠に続くわけにはいきません。いつかはエネルギーや資源が枯渇してしまうでしょう。また、コンピュータが常に人間の味方であるという保障もありません。映画の中でも、古い人間の命令に従って現在の人間の命令を無視するというコンピュータの姿が描かれています。また、よくある「コンピュータが意思を持って人間に反乱を起こす」という可能性も否定できません(ここまで発達したコンピュータ達なら十分想定できます、というよりウォーリーやイヴ、その他たくさんのコンピュータはあの人間以上に人間らしいものばかりでしたねw)。そして、そもそも人間達が宇宙にいるのは、「地球が浄化されるまでの一時的な避難」であったのに、その「意思」を忘れてしまい宇宙での生活を続けることは本末転倒だということです。身体だけでなく、精神も同時に人間として「退化」してしまった結果なのでしょうか。
 それでも、はじめはコンピュータに依存してばかりで本という存在さえ知らなかった艦長が、植物を目にしたことをきっかけに様々な知識を吸収してしだいに地球への興味を持ち出し、地球への帰還を止めさせようとするコンピュータに反発する「意思」を形成するに至ります。やはり人間はこうあるべきですよね。快適で恒常的な生活が人間にとってすべてでは無いのは皆さんもご理解いただけるかと思います。



 で、あえてこの映画を無理やり現代に結びつけてみましょう(娯楽映画ですからこのように結び付けようとすることは邪道なのは百も承知ですw)。
 現在コンピュータはあらゆるところに存在し、それによってわれわれ人間が恩威を受けています。技術の発展により、まさかこんなところにもコンピュータが!という例もありますが、大半のコンピュータは人間がそれを認知できるものです。つまり『WALL・E』の世界とはなんら変わりないということです。というより『WALL・E』は現代の世界の未来の姿のひとつなのでしょう。
 しかし、ならコンピュータから脱却すればいいじゃないかと簡単に解決することでもありません。現代ですら人間のコンピュータへの依存はかなりのもので、コンピュータ無しに現状の生活を維持することはできないでしょうし、コンピュータを否定することは人間の技術、文化活動の否定でもあります。エンドロールで、地球を再開発しようとする人間達をコンピュータが手伝う姿が見られます。一度コンピュータを開発してしまった人間が、それを無くすとこは不可能なのです。
 問題なのは、コンピュータに依存してしまうことではなく、依存への疑問視を忘れてしまうことなのです。
 具体的な例を挙げるとすれと、Suicaやクレジットカードに代表されるICカードの問題です。スキミングといって正規の利用以外でカードの情報を盗み出し悪利用する犯罪があります。もちろんICカードは便利なのですが、その便利さがかえって不利益な結果をもたらすことになるのです。コンピュータによってもたらされているものが「便利さ」だけだという思考停止になってしまうことが危険であり、便利さとその危険性両方を理解し解決しようとしたうえで、はじめてコンピュータの「正しい依存」となり、人間が人間であることが保たれるのです。

 コレクションを楽しんだり、孤独を悲しんだり、誰かと手をつなぎたいと願ったウォーリー。探索船からおり(一時的に)自由になったことを喜んだり、ウォーリーとのふれ合いに心動かされたり、ウォーリーや植物を守るために必死になったイヴ。彼らはどうしてこれほどコンピュータとは思えないくらい人間的であるのに対して、本物の人間が人間らしくなくなってしまったのだろうか。もちろん娯楽映画としても大変満足できるものでしたが、こんな疑問をわかせてくれた映画でもありました。

映画「WALL・E」とピーター・ガブリエル



 こすも氏とYO氏と一緒に映画「WALL・E」を見てきました。おもしろかったですよー。
 クレジットタイトルのところで流れたエンディング曲が、どこかで聞いたことがあるかなーと思ったら、あのピーター・ガブリエルでした。今は多分シンガーソングライターとして有名なんでしょうけど、昔はプログレバンドのGenesisのメインボーカルでしたね。最近またGenesisを聴きかえしていたところだったのですが、まさかこんなところでピーター・ガブリエルを聴けるとは思ってもみませんでした。この曲は映画のサントラに収録されているようです。



・・・



 とまあこういう偶然もあったので、今回はGenesisについてご紹介しましょう(映画の内容等については他の方にお任せしよう、チラッ)。曲は6枚目のアルバム「Selling England By The Pound」よりDancing with the Moonlit Knightです。

Genesis - Dancing with the Moonlit Knight

 ガブリエルのアカペラで始まり、ギターのスティーブ・ハケットらのソロで次第に盛り上がってゆく曲です。ハケットは世界で始めてライトハンド奏法をしたということで有名だとか。座って演奏しているのを見ると私はなぜかロバート・フリップの姿を思い浮かべてしまいますw両方レスポールですしね。ハケットのギターは技術的なうまさとかではなく、幻想的でまた叙情的な独特の音色に見所があると思います。ソロでも活躍しているそうなのでそっちも聞いてみたいです。
 ボーカルのガブリエルですが、この曲でもパフォーマンスとしてイギリスの騎士の格好をしています。かぶとを脱ぐとまるで落ち武者のような格好になってしまいますが、化粧のない普通の顔を見るとすごくイケメンだったりしますw他の曲だとお花になったりおじいちゃんになったり、今見るとこっちが恥ずかしくなるような格好ばかりしていますが、当時はこれが大うけで、逆にライブが見れなかった日本では一部のファンを除きまったく人気が出なかったとか。今はDVDやYoutubeで簡単に視聴できるのでありがたいことです。
 ガブリエルのパフォーマンスもすごいですが、音楽的な面でもライブでの演奏は見事なものです。ドラムのフィルコリンズはガブリエル脱退後のGenesisやソロ活動でボーカルをつとめていてそちらが有名なのかもしれませんが、本業のドラムのプレイもライブで如何なく発揮しています。ラザフォードやバンクスなど他のメンバーは彼らの影に隠れがちですが、彼らの働きも同様にGenesisのサウンドの要です。

 私がGenesisのアルバムを手に入れたのは数年前ですが、はまり始めたのはごく最近で、実は中期以外はあまり聴いていないです(^^;メンバーの違う初期や後期の作品も今後聞いてまたご紹介できれば。

A Seasoned Witch

 以前お話しした、うちの大学でやっている「ロックとメンタル」という講義。昨日はパンクとニューウェイブのお話だったのですが、何故か講義開始前のBGMはYesのClose to the Edge!!ばりばりのプログレじゃないですかwまさか今日はプログレ特集なのかとワクワクしてしまいましたよ。もしかしたら感想のメールで以前「なぜYesを取り上げないのか」と抗議(笑)したのが原因でしょうかw事実はともかく、講義室で大音量でYesが聞けたのは非常によかった!ひとり目を輝かせていた私に先生は気がついたのだろうかw

 と、鼻息あらく興奮しておりますがw、今日はそのYesよりClose to the Edgeをご紹介。

yes - close to the edge pt. 1

yes - close to the edge pt. 2

 直訳するとバンド名は「はい」、曲名(アルバム名)は「崖に近づく」。なんのこっちゃということですが、日本語版ではバンド名が「イエス」、曲名は「危機」となっております。イエスと聞くとなにかの宗教かと思われますがおそらく関係ないでしょう。ただ音楽性というか、雰囲気はかなり宗教っぽかったりもしますが。それにしても「危機」という邦題は本当にすばらしい!!そしてタイトルを忠実にアルバムジャケットへ表現したロジャー・ディーンもやっぱりすごい。演奏はもちろんすごい!メンバーがすごい!ああ、もう「すごい」しかいってないですねwもはやなんと形容すればいいのかわからないです。こんな音楽が何十年も前にに生まれていたとは到底思えないですよ。名盤中の名盤、そして個人のベストの中でも3つには入るほどの作品で、この生涯の中でもっとも長く再生していた曲(アルバム)なのです。

 まずアルバムの解説ですが、この曲名と同じでタイトルは「Close to the Edge」。初出が1972年9月。メンバーはギター:ボーカル:ジョン・アンダーソン、スティーブ・ハケット、ベース:クリス・スクワイア、キーボード:リック・ウェイウマン、ドラム:ビル・ブラッフォードの5人。曲は1.Close to the Edge、2.And You and I、3.Siberian Kahtruのたった3曲。しかしこれらの曲は約20分、10分、10分と大曲ぞろい!アナログだとA面1曲、B面2曲という、実にプログレらしい構成に。

 で、一曲目のこのClose to the Edge。20分という大曲はプログレならよくある長さですが、大曲ともなるとどうしてもだれてしまうところ、飽きてしまうところがでてくるのはその長さゆえです。しかしこの曲に関してはまったくそのだれや飽きという場面がみえてきません。タイトルの通り「危機」的な緊張感が20分間続きます。曲は4つのパートに分かれており、これらのパートがまさに起承転結に相当するもので、20分という長さを感じさせずかつわかりやすい(聴きやすい)構成となっております。

 こんなに長い曲をどうやって作ったかといえば、エンジニアがメンバーの録音テープを試行錯誤の末つなぎ合わせた結果だとか。もともとどんな形であったのか想像できない程完璧にできてしまっているので、とても断片をつなぎあわせたものとは考えられないのですが・・・。いやはや。 前作のFragile(こちらも名盤!)は、各メンバーのソロ曲も入れて9曲なのですが、ファンや評論家はこれらの曲を「組曲」ととらえたのをきっかけに、いっそ本当に長い組曲つくっちゃえばいいんじゃね?とメンバーが考えたのがこの発端だとか。

 歌詞に関しては、ジョン・アンダーソンの哲学とも言われるくらい難しいもので、自分がどうだと批評できるものではないですねー。ただ意味はわからなくとも不思議と口に出したくなるくらい美しいメロディです。そもそもジョン自信が「僕の歌詞に実はあまり意味など無いw」と発言しているらしいので、歌詞に関しては曲の雰囲気にさえあってればいいのかなぁとw。

 というより、この曲やアルバム、そしてこのバンドのメインはやはりインスト部分にあるといっていいでしょう。ハウの緊張感に満ちたギター、ウェイクマンの流暢なキーボード、クリスとビルによるリズム隊。どれもYesを語る上でははずすことはできない存在です、。個人的に一番好きなのはクリスのベースですね。この曲の中だとPart2 Total Mass Retainにおけるベースが特にお気に入りです。音を入れるタイミングや音そのものとか。リッケンバッカーのブリブリとした音は彼の持ち味ですね。他のメンバーがあまりにも目立つので陰に隠れがちですが、唯一すべてのYes作品に参加している彼こそYesのリーダーではないでしょうか。(Yesはメンバーの入れ替わり、というより脱退&復帰が非常に多いバンドで有名です)



 個人的な話になりますが、スタジオ版とライブ版どちらがいいかを考えると、私はライブ版のほうが好きなのが大半です。スタジオだとちょっと物足りないなぁという感じがするのと、多少リズムがずれてたり音質の悪さがあったほうが親しみがわくというかw

 しかしこのClose to the Edgeに関してはスタジオ版のほうが好きかもしれないです。多重録音を繰り返したであろうスタジオでの作品のほうが、この曲の綿密な構成とアイデアにマッチしますね。

 ただライブ版決して悪くはないですよ。ハウのギターがより激しかったり、ジョンの歌い方がちょっと違ったり、いろいろ見所はあります。ただスタジオ版があまりにすごすぎるだけというかw一時期リック・ウェイクマンが脱退して、別のキーボードの人が担当しているClose to the Edgeも興味深いですね。



・・・



 今日はこんなところで。このアルバムや他の二曲とライブ、そしてYesについてはまた今後もふれていきたいですね。Close to the Edgeは多分TUTAYAならどこもレンタルしていると思うので、未聴な方で見かけたらどうぞお手にとってみてください。

黄色い潜水艦

 「ピンク色の象」を見るという慣用句は、酒や麻薬を服用して幻覚が見えることを指すらしいです。アニメのダンボでそんなシーンがあったことを覚えていますが、実生活ではそんな体験をしたことはありませんし、そんな表現を使う機会もそうあることではないでしょう。個人的には「ピンク」と「象」というファンタジーな組み合わせがちょっと気に入っていますが、下手に口にすればそれこそ病院や警察のお世話になりそうなのでめったに言えるものではありませんねw

 私が口にするとすれば、「黄色の潜水艦」を観た、でしょうか。ご存知の方もいられるかも知れませんが、Beatlesの黄色の潜水艦、すなわち「イエローサブマリン」は、曲だけにとどまらずアニメーション映画にもなっています。これが実にサイケデリックな映画でして、「ピンク色の象」に負けないぐらいの幻覚世界を味わうことができます。以下映画のワンシーンより。

Beatles - Lucy in the Sky with Diamond


 曲名はLucy in the Sky with Diamond、頭文字をとるとLSD、つまり麻薬になります。作曲者のジョン・レノンはドラッグソングであることを否定していますが、この映画を観てしまうとドラッグソングという解釈も思わず納得してしまいます。(この曲はKIng Crimsonもデビュー前にカヴァーしていたとか、聞いてみたい・・・←一応プログレと関係があるとアピールw

 いつだったか、絶望先生のアニメの中でこの映画のパロディをやったシーンがありましたね。自分が語るまでもなく、名作だからこそ今でも話題が尽きることのない映画です。

 Beatlesのメンバーが主人公なので、Beatlesをよく知らない人は楽しめないのか、ということはありません。知らない人でも楽しめる、というよりも、知らないからこそ余計な先入観なく楽しめるはずです(知っている人は「あ!あの曲だ!」とより楽しめます)。上の動画で少しでも興味を持っていただけたら、是非あなたも「黄色い潜水艦」を体験してみてください!



 この映画はまだいろいろ語りたいところがあるので、またいずれ取り上げたいと思います・・・。

㈲公共印象

 大学の講義を聞いていると、たまにこれは単なる教授の趣味なのではないかと思えるような内容のものがあります。例えばオタクやサブカルチャーについて語る講義とか。課題は毎回講義の感想(考察ではない)と、自分の好きなコンテンツについて語るという最終レポートのみ。出席点は一切無いというのに毎回すばらしい出席率を誇るというすばらしさw



 そして今私が履修している中でおもしろいのが、「ロックとメンタル」という講義。洋楽を中心にブルースの歴史から始まってサイケやパンクなど幅広いジャンルの紹介という内容で、カウンセラーの先生がやっているので一応メンタルに結び付けているかんじなのですが、これもやっぱり先生の趣味だからなんだろうなぁと思える内容でwもちろん私の大好きなプログレも最近講義で取り上げられていて、その時はひとりで盛り上がっていました。そりゃあ講義前からBGMにKIng CrimsonのRedを流されたらそりゃ興奮しますよw



 私がこの講義で好きなのは、知らない・疎いジャンルについて新たに知ることができるからです。プログレにはまっているというよりは、プログレ以外あまり聞いたことが無いというのが本音な私にとっては、有名どころの紹介・解説でもかなり新鮮に聞けるのです。無知ってすばらしい!w



 で、最近の講義でよかったのがPublic Image Ltdというパンクバンドの曲。自分のパンクに対するイメージは「プログレを終わらせた憎いジャンル」というひどいもので、今までまともに聞いたことがありませんでしたw暴力的な印象があったのですがSex PistolsのAnarchy In the U.K.を聞いて、予想より激しくなかったとガッカリして以来とくに聴こうとは思いませんでした。そして最近の講義で取り上げられたこのPublic Image Ltdというバンド、Sex Pistolsのジョニー・ライドンが結成したと聞き、あまり期待しないでおこうと思ったら驚き、すばらしいじゃありませんか!やっぱり偏見はダメですねw一ジャンルに固執していろいろなジャンルに触れる大切さを学び、この講義のありがたさを再びかみ締めることになりました。

Public Image Ltd - Death Disco

Public Image Ltd - Careering


 このPublic Image Ltdはパンクのファンからも賛否両論だとか。確かにSex Pistolsを期待して聞いた人にはギャップに驚くかもしれません。パンクというよりアングラというか。この曲はベースが特にツボでした(別の映像だとペーシストが歯が欠けているのをチラチラさせていてかなり強烈w)。ジョニー・ライドンのひとりよがりで妙にういたボーカルがなぜか演奏にマッチしているように思えます。

 上に別ジャンルがどうのこうの書いておいてなんですが、このバンドってかなりプログレっぽくないですかね?実験的というか、過去のパンク、ファンにとらわれないで独自性を重視しているところとか。

 そもそもプログレというジャンル自体が、すごくあいまいというか、概念としてもジャンルとしてとらえていいのか疑問と指摘されるものなんですよね。プログレは作曲するものではなく、リスナーがプログレだと思ったものがプログレであるという帰納的なジャンルで、他のジャンル以上にその敷居を決めるのが難しいでしょう。だからその人がプログレだといってしまえばもうそれは(少なくともその人にとっては)プログレなのです。たとえビートルズでも。

 というわけでPublic Image Ltdは私のプログレ認定をうけました、おめでとう!・・・冗談です、スイマセン。とまぁグダグダなかんじですが、もう一度自分のなかで「プログレとは何か」というのを自問自答してみたく感じたよい機会ではありました、というコトデ。

ビックブラザーはいつもあなたを見守っている

 大学のゼミで扱っている本に、よく昔のSFから引用された文章がでてきます。例えば『ニューロマンサー』や『1984』など。何十年も昔にこれだけ現代のことを予想していたのかという驚きを感じ、またその予想が行き届かなかった「ずれ」とその背景を探るのはなかなか面白いです。

 ちなみにこれらのSF、当ブログで紹介しているプログレとも実は関係が深かったりします。『ニューロマンサー』は映像化に当たってBGMの担当がKing Crimsonに任せられるというウワサが流れたり、『1984』はYesのリック・ウェイクマンやSoft Machineのヒュー・ホッパーらのソロアルバムの主題として取り上げられています(未聴ですw)。

 ウチの学部はわりと自由な感じなので、卒論も書こうと思えばそれこそなんでもネタにできるのですが、それを卒論として最後まで仕上げ切れるかがやはり問題のようです。今日は先輩の卒業研究中間発表があったのですが、「研究内容は理解できるが主張がまったく伝わらない」と厳しい指摘をされている人も何人かみられ、「なんでもかんでもネタにできるもんじゃないなw」と痛感しました。ゼミの教授は、ほかの同級生のゼミ生(邦楽のロック好き)に「過去にポップスとかダンスで卒論書いた人もいるし、ロックで卒論を書けなくも無い」のようなことをとおっしゃっていましたが・・・。



 話はそれますが、ロックといえばどちらかというと左翼、反体制的な印象を受けますが、ドイツは逆に右翼、保守的なロックもあるとその教授から伺いました。国が移民などを受け付けたナショナルな体制なので、国粋な派閥の方はどうも少数派になってしまい、結果ロックで反発しているのが右翼系になるのだとか。

 プログレもアバンギャルドで前衛的なアプローチを行う革新派と、クラッシックやジャズ、フォークなど過去や別ジャンルの音楽を吸収して新たな音楽を求める保守派に分けられると思います。ともにプログレッシブであるにもかかわらず、その精神はまったく別のところにあるのだとすれば、すべてのプログレと呼ばれているジャンルを同一視するのは的外れなのかもしれません。



・・・



 さて、上でも紹介し、過去の記事でも取り上げたSoft Machineですが、このバンドの名称もSF小説から採られたものです。アメリカのSF小説家、バロウズ(William Burrougs,1914-97)の小説『The Soft Machine』(1961)のタイトルを、バンドのメンバーであるマイク・ラトリッジが電話で直接かけあって使用許可を得たとか(今調べたら、バロウズはYMOの曲に参加したりニルヴァーナと関係があったとか・・・、すごい人だなぁw)。

 というわけで、今回はこの小説のほうにスポットをあてて紹介したいと思います。(前置きが長くてごめんなさいw)

 小説が元ネタになっているという話を知った私は、是非この本を読んでみたいと思っていたのですが、偶然父がもっていたのを最近知り早速借りてみました、しかし父いわく「3ページほど読んでやめた」とのこと。SF好きの父でもあきらめたとはよっぽど難解なのかとしり込みしつつ読んでみると、言葉通り、非常に難解なものでした・・・難解という言葉で片付けていいのかよくわかりませんが、とにかくさっぱりでした。一部引用してみるのでちょっと解釈してみてください。
 レイフはオランダ政府に強制送還された。カサブランカ発コペルハーゲン行貨物船はイギリス沖で全員もろとも沈没。おれのはるかな指の霊媒覚えてる?――
「この娘はなんで死んだ?」
「寿命」
「言われるまでもないってことのもあるんだぜ」
 船乗りはしまいにまずいことになった。共犯たちの房の戸に吊るされてしまったのだ。
「やってりゃいわれるまでもないことってのもあっておれは足抜けするってだけだ」
 心臓にパン切りナイフ……もんで死ぬ……モルヒネ処方箋に強制送還され……カサ発コペンハーゲン行きの連中が特別な黄札に……
「待ちが全部コケたですと? 誇りというものがないのですか?」目覚まし時計は1年で止まった。「あいつはただカーブにすわって死ぬ」エスペランザがニノ・ペディード通りで話してくれて、モルヒネ処方箋を金にかえた。その手のメキシコのヤク処方箋は特殊な黄色い銀行券用紙……それとも米軍の不名誉除隊票みたいな……そしてこのはしごを上ってたどりつく小部屋でヤクを調製。
 昨日よぶラマダーン月の笛:「No me hagas casa」
 シャツや照明に血が飛び散る。アメリカ人形式でひきずって……彼はマドリードへ行った。この逆上したキューバ人ホモやnoviaといっしょにキキをみつけ包丁で心臓を突き刺す。(娘絶叫。ご近所退場)
「Quëdase con su medicina,William」

W.バロウズ 『ソフトマシーン』(1961) 山形浩生/柳下毅一郎訳 P.14~15より
 どうでしょうか、どんな小説かご理解いただけたでしょうか、私になんぞとても理解できるものではありませんw上のような文章が延々200ページ程続き、しかもち○ぽこらや肛○やら○ンドー○やら、女性が見たら顔を赤らめるような用語がページのそこらじゅうに転がっていて、さすがの私もどん引きですwしかしこんな卑猥な単語さえももはやゲシュタルト崩壊する程、私にはこの小説はあまりにも「理解不能」なのでした。



 実はこの小説、どうも普通の方法で書かれたのではなく、「カットアップ」や「フィールドイン」という特殊な方法で書かれたようです。
 カットアップやフォールドインとは、自分の文章や他人の文章を切り刻んで並び替えたり折り込んで並べたりして、新しい文章を半ば自動的に生み出す手法。

W.バロウズ 『ソフトマシーン』(1961) 山形浩生/柳下毅一郎訳 裏表紙解説より
 道理で読みにくいわけです。聞いた話によると、編集者が原稿を回収しにバロウズのところに行くと、バロウズはテーブルの上のバラバラになった紙ををテキトウにあつめてよこしたとか。多分書いている本人ですら最終的にどんな小説に仕上がるかは予測できなかったことでしょうw翻訳本をよく読んでみると、途中でフォントや口調を変えてうまくそれを表現しようとしている部分がいくつか見られました。翻訳の人は本当にすごい・・・!



 (解説によるとどうも存在するらしい)ファンがいる以上、この小説を楽しんでいる人がいるのは事実でしょう。僭越ながら私が彼らを理解するとすれば、たとえその理解できないお話でもその独自の世界観や実験精神を楽しめればそれでいい、と考えているのだと思います。ハッキリいってこの小説は理解できるものではありません。しかし逆に言えばこれほどの独自で実験性を持った小説はほかに存在しないでしょう。ありきたりで王道に飽きてしまった一部の人に支持されていると考えれば、彼らの存在は想像に難くはありません。「よくわかんないけどすげぇ!」という感情は、王道をヘンに嫌いヘンテコに走る天邪鬼な人なら必ず抱くのではないのでしょうか(ソース:自分w)。



 で、こういう理解しがたいものを楽しむという精神は、ここでプログレにもつながるものなのではないでしょうか。特にアバンギャルドやインプロビゼーションは、「理解するな、感じろ!」でこそ楽しめるものかと(というかそれ以外でどうやって楽しめばいいのかw)。クラッシックやジャズとロックを融合させる保守的なプログレは比較的「わかりやすい」ですが、革新的なプログレはやはり「わかりにくい」ものが多く、そしてあえてそれを楽しむという精神は『ソフトマシーン』という小説を楽しむ精神と同じところにあるのではないでしょうか。

 以前メールをいただいた方に、「ソフトマシーンのThirdを聴いてみたが、難解でしたw」というお言葉をいただきました。私も難解だと思いますwでもこのアルバムとバンドは非常に気に入っています。もしこれらを楽しんでみたいということでしたら、是非理解や納得、理屈にこだわらず、彼らの独自の世界を「感じる」に徹してみてはいかがでしょうか。わからなくてもいいこと、知らなくていいことは世の中たくさんあります。なぜ、なんで、どうして、と考えず「そういうものなのだ」と考えることをやめることは、彼らや、その他多くのプログレを楽しむ上では必要なのかもしれません。



 最後にとってつけた感じですが、Soft Machineの1stアルバムより紹介します。ヘンテコな音楽ですが、こういう独自の雰囲気なんだなと思ってしまえば案外聴けてしまうものですよ。

Soft Machine - Why I So Short



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 それにしても自分の文章の構成があまりに醜い・・・。思いついたことをただ書き散らすからこうなってしまうわけですが、このブログは決して「カットアップ」や「フォールドイン」で構成されているわけではありませんwもっとうまい文章構成ができるようになりたいです。

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name:ガルベロス

比那名居天子とプログレッシブロックとMTGが主食。

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