ハンサム★スーツ
映画『ハンサム★スーツ』をこすも氏とYO氏と一緒にみてきました。
あらすじを簡単に説明すると、定職屋を経営するブサイクな主人公がハンサムになれるスーツを手に入れるという話です。ブサイクなときは相手にもされなかった女性に急にモテモテになり、モデルとして活躍する一方で、何故か意中の女性には相手にされず…。
ネタバレは控えるのであまり内容の詳細は詳しく触れられないのですが、とにかくギャグが多い映画でしたw洋服の青山が協賛しているのですが、青山のCMが作中で挿入されたりスタッフロールで「青山のハンサムな従業員たち」が流れてきたところが個人的にツボでした。シリアスなシーンはとことんシリアスですし、笑わせるところはサービスを惜しまないかんじです。サービスデーで1000円でみれたのは非常にお得でした。客席はガラガラなのが非常に残念なくらいです。タイトルをはじめて聞いたときはスイーツ(笑)な雰囲気を感じていたのでが(失礼w)、野郎3人で見てもなんてことなないコメディでした。
・・・
で、個人的に感じたこと、考えたことをいくつか。
冒頭で「世の中の男性はハンサムかそうでないかの2種類に分けられる」「容姿を気にしない人はいない、気にしないと言っている人はそう考えないようにしているだけで実際は気にしているのだ」と流れます。自分は非ハンサムな部類に分けられますが、後半の容姿に関する言葉は正直納得してしまいましたw人を判断する際に頭に入ってくる情報は視覚に頼る部分が大きいので、中身より外見が優先されることは自然なことでしょう。中身は実際その人とのやりとりを通してみないとわからないし、結局それもその人の真実なのかどうか判断できないところは外見と変わりありません。
外見で判断されることが否定できないとしたら、ブサイクはどうすればいいのでしょうか。評価されないのならそれでいいやと、外見に無頓着になるのも選択肢の一つです。振り返ってみると自分はそれを選んできたようです。その結果、「ブサイクだから仕方ない」「ブサイクだから無駄」とネガティブな方向の思考が頭に染み付き、卑屈な人間になってしまうことは間違いないでしょう。その思考は外見にとらわず、あらゆる場面で「~~だからダメだ」と自分に言い聞かせてしまい、ますます自分をダメ人間としてみなしてしまいます。ソースはまさに自分ですw
絵を昔描いていたのに辞めてしまったのも、「自分は才能がない」「みんなうまいな、それに対して自分は・・・」とネガティブな思考に陥り、うまくなるための努力をするための気力をなくしてしまったからです。しかし努力なしの才能や器量を維持できる人はいないはずです。ハンサムやイケメンもきっとその容姿や雰囲気を失わないために、金や時間をつぎ込んでいるはずです(多分)。卑屈になってしまう原因は、外見や才能といった一時的要因ではなく、それらを向上・維持させるための努力を惜しむ二次的要因ではないでしょうか。最近絵描きをまた初めて、私は自分の才能のなさをうらむ以上に、それを補うための努力をしてこなかったことを非常に悔やんでいます。「才能は無いけど毎日絵を描いて努力して画力をつけよう」「ブサイクだけどせめて身なりくらいはきちんとしてオタクと呼ばれないようにしようw」と考えていれば、私の人生は少し違ったものになっていたかも知れません。
では努力しようとしている人の周りの人はどうすべきなのでしょうか。それはもちろんその人をきちんと評価してあげることです。ほめるべきところはほめて、なおすべきところは指摘する。否定的な意見や見方はその人の努力を損なう恐れがあるので極力さける。無視や嘘はよりいっそう控える。これだけでもずいぶんやる気があがると思いませんか?行き過ぎた評価は暴走(笑)も引き起こす可能性がありますが、それもまた経験のひとつということでw
・・・
言いたいことがうまくまとまりませんでしたが、簡潔に言えば「卑屈になるな」「批判ばっかしないでもっとほめようぜ」に尽きますw
pixivを利用した当初では、お気に入りの画像を見つけたら保存して終わりでした。しかし実際自分で絵を描いてみて、評価されない悲しさを知ってからは、気に入った絵には点数やブクマを、気になったらコメントを、さらに踏み込みたいのならマイピク申請へ、と積極的に評価をするようになりました(しかし自分ほどのものが人様の絵を評価ってのえらそうですよねw・・・おっと、この思考が危ない危ない)。やっぱり自分にやってうれしいことはどんどん人にすべきですよね。お互いがお互いを評価しあういい雰囲気が、そのコミュニティをよりよいものにしていくんですから。自分を評価してくださったかたがたには本当に感謝しています。この場でお礼を申し上げます。
とまぁハンサムの話題がどこかにいってしまったところで〆ます。長文失礼しました。
あらすじを簡単に説明すると、定職屋を経営するブサイクな主人公がハンサムになれるスーツを手に入れるという話です。ブサイクなときは相手にもされなかった女性に急にモテモテになり、モデルとして活躍する一方で、何故か意中の女性には相手にされず…。
ネタバレは控えるのであまり内容の詳細は詳しく触れられないのですが、とにかくギャグが多い映画でしたw洋服の青山が協賛しているのですが、青山のCMが作中で挿入されたりスタッフロールで「青山のハンサムな従業員たち」が流れてきたところが個人的にツボでした。シリアスなシーンはとことんシリアスですし、笑わせるところはサービスを惜しまないかんじです。サービスデーで1000円でみれたのは非常にお得でした。客席はガラガラなのが非常に残念なくらいです。タイトルをはじめて聞いたときはスイーツ(笑)な雰囲気を感じていたのでが(失礼w)、野郎3人で見てもなんてことなないコメディでした。
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で、個人的に感じたこと、考えたことをいくつか。
冒頭で「世の中の男性はハンサムかそうでないかの2種類に分けられる」「容姿を気にしない人はいない、気にしないと言っている人はそう考えないようにしているだけで実際は気にしているのだ」と流れます。自分は非ハンサムな部類に分けられますが、後半の容姿に関する言葉は正直納得してしまいましたw人を判断する際に頭に入ってくる情報は視覚に頼る部分が大きいので、中身より外見が優先されることは自然なことでしょう。中身は実際その人とのやりとりを通してみないとわからないし、結局それもその人の真実なのかどうか判断できないところは外見と変わりありません。
外見で判断されることが否定できないとしたら、ブサイクはどうすればいいのでしょうか。評価されないのならそれでいいやと、外見に無頓着になるのも選択肢の一つです。振り返ってみると自分はそれを選んできたようです。その結果、「ブサイクだから仕方ない」「ブサイクだから無駄」とネガティブな方向の思考が頭に染み付き、卑屈な人間になってしまうことは間違いないでしょう。その思考は外見にとらわず、あらゆる場面で「~~だからダメだ」と自分に言い聞かせてしまい、ますます自分をダメ人間としてみなしてしまいます。ソースはまさに自分ですw
絵を昔描いていたのに辞めてしまったのも、「自分は才能がない」「みんなうまいな、それに対して自分は・・・」とネガティブな思考に陥り、うまくなるための努力をするための気力をなくしてしまったからです。しかし努力なしの才能や器量を維持できる人はいないはずです。ハンサムやイケメンもきっとその容姿や雰囲気を失わないために、金や時間をつぎ込んでいるはずです(多分)。卑屈になってしまう原因は、外見や才能といった一時的要因ではなく、それらを向上・維持させるための努力を惜しむ二次的要因ではないでしょうか。最近絵描きをまた初めて、私は自分の才能のなさをうらむ以上に、それを補うための努力をしてこなかったことを非常に悔やんでいます。「才能は無いけど毎日絵を描いて努力して画力をつけよう」「ブサイクだけどせめて身なりくらいはきちんとしてオタクと呼ばれないようにしようw」と考えていれば、私の人生は少し違ったものになっていたかも知れません。
では努力しようとしている人の周りの人はどうすべきなのでしょうか。それはもちろんその人をきちんと評価してあげることです。ほめるべきところはほめて、なおすべきところは指摘する。否定的な意見や見方はその人の努力を損なう恐れがあるので極力さける。無視や嘘はよりいっそう控える。これだけでもずいぶんやる気があがると思いませんか?行き過ぎた評価は暴走(笑)も引き起こす可能性がありますが、それもまた経験のひとつということでw
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言いたいことがうまくまとまりませんでしたが、簡潔に言えば「卑屈になるな」「批判ばっかしないでもっとほめようぜ」に尽きますw
pixivを利用した当初では、お気に入りの画像を見つけたら保存して終わりでした。しかし実際自分で絵を描いてみて、評価されない悲しさを知ってからは、気に入った絵には点数やブクマを、気になったらコメントを、さらに踏み込みたいのならマイピク申請へ、と積極的に評価をするようになりました(しかし自分ほどのものが人様の絵を評価ってのえらそうですよねw・・・おっと、この思考が危ない危ない)。やっぱり自分にやってうれしいことはどんどん人にすべきですよね。お互いがお互いを評価しあういい雰囲気が、そのコミュニティをよりよいものにしていくんですから。自分を評価してくださったかたがたには本当に感謝しています。この場でお礼を申し上げます。
とまぁハンサムの話題がどこかにいってしまったところで〆ます。長文失礼しました。
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