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ビックブラザーはいつもあなたを見守っている

 大学のゼミで扱っている本に、よく昔のSFから引用された文章がでてきます。例えば『ニューロマンサー』や『1984』など。何十年も昔にこれだけ現代のことを予想していたのかという驚きを感じ、またその予想が行き届かなかった「ずれ」とその背景を探るのはなかなか面白いです。

 ちなみにこれらのSF、当ブログで紹介しているプログレとも実は関係が深かったりします。『ニューロマンサー』は映像化に当たってBGMの担当がKing Crimsonに任せられるというウワサが流れたり、『1984』はYesのリック・ウェイクマンやSoft Machineのヒュー・ホッパーらのソロアルバムの主題として取り上げられています(未聴ですw)。

 ウチの学部はわりと自由な感じなので、卒論も書こうと思えばそれこそなんでもネタにできるのですが、それを卒論として最後まで仕上げ切れるかがやはり問題のようです。今日は先輩の卒業研究中間発表があったのですが、「研究内容は理解できるが主張がまったく伝わらない」と厳しい指摘をされている人も何人かみられ、「なんでもかんでもネタにできるもんじゃないなw」と痛感しました。ゼミの教授は、ほかの同級生のゼミ生(邦楽のロック好き)に「過去にポップスとかダンスで卒論書いた人もいるし、ロックで卒論を書けなくも無い」のようなことをとおっしゃっていましたが・・・。



 話はそれますが、ロックといえばどちらかというと左翼、反体制的な印象を受けますが、ドイツは逆に右翼、保守的なロックもあるとその教授から伺いました。国が移民などを受け付けたナショナルな体制なので、国粋な派閥の方はどうも少数派になってしまい、結果ロックで反発しているのが右翼系になるのだとか。

 プログレもアバンギャルドで前衛的なアプローチを行う革新派と、クラッシックやジャズ、フォークなど過去や別ジャンルの音楽を吸収して新たな音楽を求める保守派に分けられると思います。ともにプログレッシブであるにもかかわらず、その精神はまったく別のところにあるのだとすれば、すべてのプログレと呼ばれているジャンルを同一視するのは的外れなのかもしれません。



・・・



 さて、上でも紹介し、過去の記事でも取り上げたSoft Machineですが、このバンドの名称もSF小説から採られたものです。アメリカのSF小説家、バロウズ(William Burrougs,1914-97)の小説『The Soft Machine』(1961)のタイトルを、バンドのメンバーであるマイク・ラトリッジが電話で直接かけあって使用許可を得たとか(今調べたら、バロウズはYMOの曲に参加したりニルヴァーナと関係があったとか・・・、すごい人だなぁw)。

 というわけで、今回はこの小説のほうにスポットをあてて紹介したいと思います。(前置きが長くてごめんなさいw)

 小説が元ネタになっているという話を知った私は、是非この本を読んでみたいと思っていたのですが、偶然父がもっていたのを最近知り早速借りてみました、しかし父いわく「3ページほど読んでやめた」とのこと。SF好きの父でもあきらめたとはよっぽど難解なのかとしり込みしつつ読んでみると、言葉通り、非常に難解なものでした・・・難解という言葉で片付けていいのかよくわかりませんが、とにかくさっぱりでした。一部引用してみるのでちょっと解釈してみてください。
 レイフはオランダ政府に強制送還された。カサブランカ発コペルハーゲン行貨物船はイギリス沖で全員もろとも沈没。おれのはるかな指の霊媒覚えてる?――
「この娘はなんで死んだ?」
「寿命」
「言われるまでもないってことのもあるんだぜ」
 船乗りはしまいにまずいことになった。共犯たちの房の戸に吊るされてしまったのだ。
「やってりゃいわれるまでもないことってのもあっておれは足抜けするってだけだ」
 心臓にパン切りナイフ……もんで死ぬ……モルヒネ処方箋に強制送還され……カサ発コペンハーゲン行きの連中が特別な黄札に……
「待ちが全部コケたですと? 誇りというものがないのですか?」目覚まし時計は1年で止まった。「あいつはただカーブにすわって死ぬ」エスペランザがニノ・ペディード通りで話してくれて、モルヒネ処方箋を金にかえた。その手のメキシコのヤク処方箋は特殊な黄色い銀行券用紙……それとも米軍の不名誉除隊票みたいな……そしてこのはしごを上ってたどりつく小部屋でヤクを調製。
 昨日よぶラマダーン月の笛:「No me hagas casa」
 シャツや照明に血が飛び散る。アメリカ人形式でひきずって……彼はマドリードへ行った。この逆上したキューバ人ホモやnoviaといっしょにキキをみつけ包丁で心臓を突き刺す。(娘絶叫。ご近所退場)
「Quëdase con su medicina,William」

W.バロウズ 『ソフトマシーン』(1961) 山形浩生/柳下毅一郎訳 P.14~15より
 どうでしょうか、どんな小説かご理解いただけたでしょうか、私になんぞとても理解できるものではありませんw上のような文章が延々200ページ程続き、しかもち○ぽこらや肛○やら○ンドー○やら、女性が見たら顔を赤らめるような用語がページのそこらじゅうに転がっていて、さすがの私もどん引きですwしかしこんな卑猥な単語さえももはやゲシュタルト崩壊する程、私にはこの小説はあまりにも「理解不能」なのでした。



 実はこの小説、どうも普通の方法で書かれたのではなく、「カットアップ」や「フィールドイン」という特殊な方法で書かれたようです。
 カットアップやフォールドインとは、自分の文章や他人の文章を切り刻んで並び替えたり折り込んで並べたりして、新しい文章を半ば自動的に生み出す手法。

W.バロウズ 『ソフトマシーン』(1961) 山形浩生/柳下毅一郎訳 裏表紙解説より
 道理で読みにくいわけです。聞いた話によると、編集者が原稿を回収しにバロウズのところに行くと、バロウズはテーブルの上のバラバラになった紙ををテキトウにあつめてよこしたとか。多分書いている本人ですら最終的にどんな小説に仕上がるかは予測できなかったことでしょうw翻訳本をよく読んでみると、途中でフォントや口調を変えてうまくそれを表現しようとしている部分がいくつか見られました。翻訳の人は本当にすごい・・・!



 (解説によるとどうも存在するらしい)ファンがいる以上、この小説を楽しんでいる人がいるのは事実でしょう。僭越ながら私が彼らを理解するとすれば、たとえその理解できないお話でもその独自の世界観や実験精神を楽しめればそれでいい、と考えているのだと思います。ハッキリいってこの小説は理解できるものではありません。しかし逆に言えばこれほどの独自で実験性を持った小説はほかに存在しないでしょう。ありきたりで王道に飽きてしまった一部の人に支持されていると考えれば、彼らの存在は想像に難くはありません。「よくわかんないけどすげぇ!」という感情は、王道をヘンに嫌いヘンテコに走る天邪鬼な人なら必ず抱くのではないのでしょうか(ソース:自分w)。



 で、こういう理解しがたいものを楽しむという精神は、ここでプログレにもつながるものなのではないでしょうか。特にアバンギャルドやインプロビゼーションは、「理解するな、感じろ!」でこそ楽しめるものかと(というかそれ以外でどうやって楽しめばいいのかw)。クラッシックやジャズとロックを融合させる保守的なプログレは比較的「わかりやすい」ですが、革新的なプログレはやはり「わかりにくい」ものが多く、そしてあえてそれを楽しむという精神は『ソフトマシーン』という小説を楽しむ精神と同じところにあるのではないでしょうか。

 以前メールをいただいた方に、「ソフトマシーンのThirdを聴いてみたが、難解でしたw」というお言葉をいただきました。私も難解だと思いますwでもこのアルバムとバンドは非常に気に入っています。もしこれらを楽しんでみたいということでしたら、是非理解や納得、理屈にこだわらず、彼らの独自の世界を「感じる」に徹してみてはいかがでしょうか。わからなくてもいいこと、知らなくていいことは世の中たくさんあります。なぜ、なんで、どうして、と考えず「そういうものなのだ」と考えることをやめることは、彼らや、その他多くのプログレを楽しむ上では必要なのかもしれません。



 最後にとってつけた感じですが、Soft Machineの1stアルバムより紹介します。ヘンテコな音楽ですが、こういう独自の雰囲気なんだなと思ってしまえば案外聴けてしまうものですよ。

Soft Machine - Why I So Short



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 それにしても自分の文章の構成があまりに醜い・・・。思いついたことをただ書き散らすからこうなってしまうわけですが、このブログは決して「カットアップ」や「フォールドイン」で構成されているわけではありませんwもっとうまい文章構成ができるようになりたいです。

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比那名居天子とプログレッシブロックとMTGが主食。

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